令和6年(2024)年末年始休暇のご案内・・今年もお世話になりました。
お忙しい中、弊社ホームページをご覧頂きまして誠にありがとうござい
令和6年12月も半ば近くに差し掛かり、師走に向かって暦が進むにつれ寒さも増して本格的な冬に備えて社用車も全てスタッドレスタイヤに履き替え、冬季の雪道への対策も万全の準備で慌ただしく年末を迎えようとしている今日この頃でございますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
雪が積もる事なんて数年から十年に一度、海なし雪なし県と言われる埼玉県ふじみ野市にある弊社ですが、毎年12月に入ってすぐの頃、恒例となる冬季安全大会なるものを開催しています。
これは作業中の労働災害を未然に防いで安全意識を向上させるため開催している定期的な安全大会とは別に、本格的な冬を前にして降雪時や凍結路の車両運行について改めて全社員と協力会社に対して運転時の注意喚起を促す機会として毎年12月初旬に必ず開催している安全大会となります。
私はそもそも雪国産まれでは無いのですが何故か雪深い地域に縁があり、都会の高校を卒業後すぐに信州地方で暮らし始めて18歳で普通免許を取得した後に初めて車を運転した場所も長野県北部の豪雪地域でした。それ以降、冬になって雪が積もり始めると毎年当たり前のように山道でのスリップ事故を経験する事になるのですが、普通免許を取得した翌年19歳の秋頃に10万円で初めて手に入れた中古の愛車カローラⅡは、冬を超え翌年春を迎える頃には前後バンパーに始まり車体はボコボコ、マフラーは曲がって外れてしまう見るも無残な散々な様相となってしまいました。
色々と人生経験を積んで50代半ばとなった現在、あの頃の若かりし自分を思い返すと・・
若いが故なのか単に私が馬鹿なのか、無知で未熟であるといというのは何と恐ろしい事か・・・
という事で自動車免許を取得して数年目の頃の雪道で超怖かった体験談をひとつ。
長野県北部地域での真冬の深夜、気温はマイナス10℃以下にまで下がる峠道のキンキンに凍ったアイスバーンを何ら雪道に対する知識もなく走行経験の乏しい状態で走る怖さを、恥ずかしながら免許取得から日が浅く冬道の怖さを経験したことのない当時の私には全く想像出来ていませんでした。長野で初めて車を運転した時から道路にはたくさん雪が積もる環境だったので私は傲慢にも自分の運転に自惚れ、あろうことか既に雪道の運転に習熟してすっかり慣れているつもりになっていました。しばらくの間はそんな馬鹿げた若輩者でも問題なく冬の雪道を運転出来ていましたが、神様は天からそんなお調子者をよく見ており厳しい天罰を与える事を決して忘れてはいません。20歳の冬、2月中旬に信州地方一帯に襲来した強い寒波の影響で普段より一段と気温が下がった日の深夜1時頃、私は出先からの帰宅途中にいつもの雪深い風景が延々と続く長い峠道に差し掛かりました。1990年頃の当時は現代のようなトレッドパターンによって効力を発揮するスタッドレスタイヤではなく、タイヤの表面に滑り止め用の硬く鋭い鋲が無数に打ち込んであるスパイクタイヤなる冬タイヤが主流の時代。これを4輪に装着していた安心感もあり当日の道路に対しても特段に強く用心や警戒することも無く普段通りのスピードで家路に向かっておりました。しばらくは順調に走行していましたが長い下り坂の強めのカーブに差し掛かった時、いつもより格段に硬く凍った轍に乗り上げてしまいハンドルを取られた瞬間に車はスピンし、50㎞~60㎞程度のスピードでゆっくりと回転を始めて全くの操作不能に陥りました。回転は収まるどころか激しさを増す一方でどうしていいか解らず焦りながら必死にハンドルを握って何とか立て直そうと抗いましたが、片側は山の斜面でもう片方はガードレールという典型的な山中の峠道、しかもガードレールの先には底が見えないほど暗く深い漆黒の谷。私の車はツルンツルンな鏡面の如く凍ったアイスバーンの上をピンボールのように左右に激しく弾かれながら山の斜面とガードレールに何度もぶつかり続け、下り坂をジグザグに転げ落ちるように進んだのち坂を下りきって最後はガードレールの切れ目からはみ出てしまい道路端の倉庫に激突してようやく停止しました。幸いシートベルトを装着していたのと真夜中で対向車が全く走っていなかった事が幸いして更なる重大事故の発生には繋がらず骨折に至る程の大きな怪我も防げたのですが、ルームミラーを覗いて自分の姿を確認すると窓にでもぶつけたのか頭や顔面からは結構な出血があり着ていたダウンも血だらけで手足の強い震えも止まりません。しばらく待って落ち着いた頃に車外に出て周囲を確認してみると倉庫の壁面は大きく破壊され、自分の車も損傷が激しく完全に自走不能で後に即刻廃車となってしまいました。警察へ通報するにも当時の携帯電話は平野ノラの「シモシモ~石黒賢~」でお馴染みの肩掛けショルダーフォンの時代で、一部のビジネスマンやお金持ちしか所有できない羨望のレアアイテム。もちろん持ってはいないので公衆電話を探してマイナス10℃を下回る夜中の峠道を1時間以上彷徨った挙句にやっと見つけた電話ボックスからしどろもどろになりながらようやく警察への通報を済ませた後、ようやく我に返ってみると初めて大きな事故を起こした精神的ショックと電話を探しながら歩き続けた疲労も重なってグシャグシャに泣きながら這うように車まで戻りました。
いくら若かったとはいえ、この出来事を思い出すと自らの無知で無謀な運転の末に招いた当然の結果に当時の自分自身に猛烈に腹が立つ思いで一杯になってしまいます。事故の後「なぜあんな無謀な運転で走り続けてしまったんだろう」って激しい後悔の念に加え、警察や保険会社への状況説明、倉庫所有者への謝罪などの後始末に追われながら数日が経過してやっと落ち着いたころ、今度は雪道の運転に対する今まで感じた事の無い強い恐怖感が襲ってきて晴れた日中の街中ですらスリップが怖くてしょうがありません。もちろん事故のシチュエーションを思い出させる夜間になると尚更です。これから先もまだまだ冬は続く2月の中旬、この事故以降の私は山道はもちろん市街地であっても雪や凍結路に対する恐怖心をフラッシュバックのように思い出しては慎重に少しづつ克服するを何度も繰り返しながら恐る恐るそれこそ免許取り立ての頃のように慎重に運転する毎日でした。
このような30年以上前の若かりし頃の恥ずかしくも苦々しい幾多の雪道経験を踏まえたうえ、現在ではその経験談をふんだんに散りばめながら冬季運転の危険性を安全大会にて伝達致しております。降雪時や山間部を走行する際は勿論ですが、都心で暮らす皆様も雪道や凍結路のリスクは雪国だけの心配事と思い込んで慢心せず、東京や埼玉といった首都圏であっても冬季の運転には細心の注意を払って頂き、思わぬ事故の無いよう安全に冬を超えて頂ければと存じます。
それでは年末年始休業のご案内です。
【年末年始営業日程及び冬季休業のご案内】
年末最終営業日 令和6年(2023年)12月27日(金)まで
年始営業開始日 令和7年(2025年)1月6日(月)から
冬季休業期間 令和6年(2022年)12月28日(土)から令和7年(2025年)1月5日(日)まで
この場を利用させて頂き、HP中の簡素略式ではございますが株式会社松電工業一同を代表致しまして本年中皆様よりお引立て頂きました御礼のご挨拶とさせて頂くと共に、改めまして皆々様の健康と益々のご健勝を祈念致しまして令和6年(2024年)年末のご挨拶に代えさせて頂きます。
本年も皆様より格別なご高配を賜り誠に有難うございました。
来年度も本年同様に変わらぬご愛顧を頂戴出来れば社員一同この上ない幸せと存じます。
少し早いですが、皆様良いお年を・・・